「勝ち組」「負け組」を意識しないのが「勝ち組」

ライブドアの堀江さんが脚光を浴びたころから「勝ち組」「負け組」という言葉がはやり始めました。若くしてビジネスに成功し、お金をたくさん稼いで世間の注目を集めた堀江さんは「勝ち組」の象徴です。その後、ライブドア事件というものが発覚し、堀江さんが勝ち組だったのかどうかは、よくわからなくなりました。

いずれにしても、「勝ち組」というものに憧れたのは「負け組」の人たちだけ。つまり、「勝ち負け」が重要なことだと考えること自体が「負け組」的発想なのではないでしょうか。あるいは、人生に「勝ち負けがある」というナンセンスな考え方にとらわれていることが負け組的ともいえます。人生に「勝つ」という基準をもつこと自体が奇妙なのです。

強いものが弱いものより得をする、という発想は古臭い

第二次世界大戦の前後で、日本人は強くなければならないという価値観を植えつけられました。団塊の世代たちは「勝つ」ことに異常なこだわりをもつようになります。ベビーブームに生まれたため、同級生の数が多くて競争がはげしく、受験もたいへんでした。今の子どもたちに比べて、東大に入るのに倍の努力が必要だったのです。

「四当五落」という言葉がはやり、4時間しか眠らず勉強した人は合格できるが、5時間寝てしまった人は受からないとさえ言われ、みなが必死に勉強しました。そうしてやっと合格したのですから、東大に入った人たちは自分たちを「勝者」だと考えざるを得ません。「勝ち」でなかったら、これまでの努力の意味が見いだせないのです。

東大に受からなかった人たちは「負け」のコンプレックスを抱いたまま、いつまでも卑屈に生きていきます。こうして、東大に入れば勝ち、一流企業に入れば勝ち、人より先に出世できれば勝ち、と人生を勝負で評価する仕組みができ上がったのです。

勝ち組、負け組なんてナンセンス

時代の流れの中でこうした発想はチープなものだと切り捨てられ、人生は学歴やお金ではなく、心で判断すべきものだという考え方が、かつて広まりつつありました。しかし、バブル崩壊後の2000年前後からそれが変わり始めます。古い価値基準を復活させて、「勝ち組」「負け組」などと評価するようになったのです。

でも、人生に勝ち負けなどあるはずがありません。そもそも勝ち負けはいつの時点で何を基準にはかるのでしょうか? 堀江さんのように瞬間的には大金持ちになっても、刑務所に収監されてしまった人もいます。彼は勝ち組でしょうか? 負け組でしょうか? 今は隆盛を極める会社の社長だとしても、10年後、20年後は文無しになっていることだってあり得ます。

フランスの「英雄」とされるナポレオン・ボナパルトは、最後はセントヘレナ島に閉じ込められて、辱められ愚弄されつつみじめな死に方をしましたが、勝ち組でしょうか? マザー・テレサはノーベル平和賞やバーラ・ラトナ賞も受賞し、アメリカ名誉市民にも選ばれていますが、生涯いちども金持ちになったことがありません。彼女は負け組でしょうか? ナポレオンやマザー・テレサの人生を勝ち負けで判断するのはナンセンスでしょう。

人生を勝ち負けで判断するのは、陳腐な発想です。優秀なオヤジなら、熟年離婚も熟年結婚、熟年不倫や熟年恋愛を勝ち負けで考えるのはやめましょう。どうすることで自分が幸せになれるのかを、しっかりと見極めるべきです。