老いらくの恋をしよう!

ある程度の年になって、真剣に一人の女性に恋をするということはあまりないことです。統計があるわけではありませんが、100人に1人、1000人に1人というような、ごくまれなことでしょう。熟年になって離婚するもよし、恋愛をして結婚をするもよしですが、どちらにしても、「本気で誰かを好きになる」経験をしないともったいないのではないでしょうか。

40代、50代なら全然遅くはありません。住友財閥の社長候補でもあった川田順さんは、60代で30代の若い人妻と恋におち、自殺未遂までしてしまいました。彼の書いた詩の一節から「老いらくの恋」という言葉も生まれました。

老いらくの恋のてん末

川田順は、歌手の佐良直美さんのひいおじいさんの兄弟です。東京帝国大学を卒業して、財閥の住友総本社に入社。エリートコースを歩んで、38才で常務理事に昇格します。若くしてとても高い地位にまで登りつめ、次期社長になることは確実と、財界から注目されていた人です。

ところが、次期社長の打診があると「器ではないから」と会社を辞めてしまいます。彼は若いころから「和歌」が好きで、その世界で生きてみたいという夢を持っていたのです。

歌人としてスタートするとすぐに帝国芸術院賞を受賞、皇太子(今の天皇陛下)の作歌指導や歌会始の撰者などにも選ばれます。ところが、歌人としての名声も最高潮に達したころ、50代の後半に妻に先立たれてしまいます。川田順は、これからの人生は独りきりで静かに生きていこうと決心しました。ところが、そこに現れたのが、美しい人妻俊子だったのです。

一目合ったその日から、恋の花が咲いてしまった

川田順が60才を過ぎたころに、新しい弟子として俊子という人妻が入門してきました。彼女は京都大学教授 中川与之助の妻で、川田よりも27才も年下です。美しい弟子との関係はあっという間に燃えるような恋になりました。川田は64才、俊子37才のときです。二人はデートを重ね、肉体的にも結ばれます。川田は妻に先立たれて独身ですが、俊子には夫があり不倫です。

愛におぼれるふたりの関係は、俊子の夫の知るところとなりますが、夫は妻の不倫を赦免して離婚は回避しました。川田は二度と俊子には会わないと約束しましたが愛欲を断ち切ることができず、結局俊子は夫と離縁し実家に戻ることになります。

川田順は、自分が夫のある妻を愛し離縁までさせてしまったことに思い悩み、自殺を図ってしまいます。自殺はうまくいきませんでしたが、住友総本社の社長候補、皇太子の作家指導係が不倫の果てに自殺騒ぎまで起こしたということで、新聞で大々的に騒がれてしまいました。この時に報道で使われたのが、川田自身の書いた詩の一節「墓場に近き老いらくの恋は怖るる何もなし」でした。これが「老いらくの恋」の語源です。

経歴もすこぶる立派な人が、死んでもいいと思えるほどの恋をしたということです。二人は結婚して、84才で川田が亡くなるまで添い遂げました。熟年オヤジも、ぜひこういう恋をしたいものです。